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再びの都営霞ヶ丘アパート&都営原宿アパート
2013-12-11 Wed 19:30
<前回から続きます>
青山熊野神社境内のいちょうも見事に色づいていました。
神社横

こちらは、国学院高校第二記念館前にある「龍厳禅寺」のいちょうです。この界隈にはいちょう
多いですね。
寺とイチョウ

都営原宿アパートと団地内のいちょうです。
団地とイチョウ

いよいよ団地の建物の解体が始まるようです。
道路閉鎖の案内です。
道路封鎖

奥に見えるオラクルの建物があるあたりが青山通りです。
PC089509.jpg

12月13日解体開始! まさに解体直前の写真となりました。
PC089510.jpg

団地脇にある小公園も間もなく姿を消すのでしょうか。
こちらの公園で小さい頃遊んだ子供もおそらく当方と同じような世代になっていると思います。
小公園

先日もご紹介させて頂いた霞ヶ丘団地内の外苑マーケットです。
やはりこの光景、無関心でここを取りすぎることは不可能ですね。
神宮スーパー

外苑マーケット、一度平日の夕方にその風景見てみたいです。
先日も書きましたが、2020年東京オリンピックまでには間違いなく消えている風景ですので
1960年~70年に団地生活を送った者として、少年時代の原風景として、瞼にこの光景焼き
付けておこうと思います。
外苑マーケット看板
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鎌倉古道「勢揃坂」からもう一つの1960年団地「都営原宿アパート」の風景
2013-09-29 Sun 12:34
霞ヶ丘アパートを後にします。
霞ヶ丘アパートから國學院高等学校第二記念館方面に向かう坂が「勢揃坂」です。

この坂はかつての鎌倉道の一部であったとの説もある古い坂道で、勢揃坂の名は後三年の
役の際に八幡太郎義家がここで軍勢を揃えたとの言い伝えによっています。
前回の霞ヶ丘アパートは、「新宿区霞ヶ丘町」でしたが、このあたりは「渋谷区神宮前2丁目」
です。
記念館脇

通り沿いには、臨済宗南禅寺派「古碧山龍巌寺」があります。
こちらのお寺、御府内八十八か所霊場第九番札所でもあります。
この界隈、裏町中の裏町ですので、あまりその存在を知る方少ないのではないでしょうか。
龍厳寺

勢揃坂から外苑西通りに向かう道です。
雰囲気ありますね。
路地

勢揃坂を抜けると青山熊野神社が角に鎮座しています。
現在の赤坂御所にあった紀州徳川家の邸内社がこの場所に移遷されたと伝わります。
青山熊野神社

本殿の裏が今歩いてきた國學院高等学校第二記念館になります。
鳥居

この狛犬は陶器製?でしょうか。
狛犬

熊野神社から原宿方面に向かう通りがキラー通りです。
意外に下町の香りがする落ち着いた通りです。
下の地図で ”Here”とあるところから少し左の交差点から真っ直ぐ上に伸びている細い道が今
歩いてきた勢揃坂です。
キラー通り

キラー通り沿いにある昭和チックなアパートです。
アパート

以下は、都立青山高等学校脇(秩父宮ラクビー場前)からキラー通りに抜ける道沿いにある木
造建築です。
木造家屋

住民の方しか通らないマイナーな道路です。
木造家屋2

浄土宗寂照山高徳寺です。
都立青山高等学校の真裏にあたります。
そういえば、中野早稲田通り沿いの上高田寺町にも新井白石が眠る高徳寺というお寺があ
りました。
紛らわしいですが、広徳寺は「港区北青山」になります。
道路1本隔てて、新宿区・渋谷区・港区の3区が入り組んでいます。
高徳寺

立派なレンガ壁です。
どういう由来のものなのでしょうか?
レンガ壁

先ほどの熊野神社脇の道路を入ります。
正面にここは青山か?と目を疑うような空き地が広がっています。
空き地

都営原宿アパートです。
こちらも霞ヶ丘アパートと同時代に建設された団地です。
建築計画

地下鉄銀座線外苑駅から徒歩10分もかからない場所にこのような空き地が広がっていること、
本当に不思議な感覚です。
団地跡地計画標とともに

団地の隣に見える茶色の建物が都立青山高等学校です。
墓地方面

墓地は、先ほどの高徳寺の墓地です。
真ん中のビルが青山通り沿いに建つ伊藤忠商事の本社ビルですので、位置関係おわかりに
なるかと思います。
団地跡地

左側の建物が先ほど前を通った國學院高等学校第二記念館になります。
余談ですが、女優山本陽子さん、さだまさしさん、タレント(アナウンサー)小林麻耶&麻央姉
妹等がこちら國學院高等学校の卒業生です。
第二記念館

以下は、キラー通りを原宿駅に向かって歩いている途中に見かけた古いビルです。
古いビル

こちらは、キラー通りが明治通りとぶつかるエリアで見かけた昭和風景です。
住所でいうと神宮前2丁目にあたります。
古い建物

裏から見た昭和建物です。
この辺りは、穏田と呼ばれ、江戸時代は、村の中央を流れる渋谷川(穏田川)に水車がかけ
られ、稲作が行われる田園地帯でした。
明治通り近く民家

道沿いに国旗掲揚塔がありました。
1964年東京オリンピックの際に国旗が掲げられた場所です。
2020年東京オリンピックの際には、ここに再び国旗が掲げられるのでしょうか。
国旗掲揚台
2020年東京オリンピック開催決定により、前回、今回ご紹介のエリアは様変わりすること
間違いないエリアです。
再開発前に一度裏町散歩、いかがでしょうか!!
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2020年東京オリンピック開催までには消える風景(都営霞ヶ丘アパート)
2013-09-28 Sat 17:30
秋分の日の昼間、神宮に所用があり、そのついでに界隈散歩をしてきました。
2020年東京オリンピック開催が決定し、これから大きく姿を変えているエリアです。
地図

よくフリーマーケットが開催されている明治公園越しに見た日本青年館です。
この日本青年館、広い和室部屋があり、修学旅行生の宿としても利用されています。
また、神宮球場でナイター観戦後にここで宿泊というのもなかなか乙なものがあります。
宿泊料金も安くなかなかおすすめです。
(2020年五輪に向け、2014年に取り壊され、南寄り國學院高校側に新たに建築される予
定です)
この日の公園内には、大きなトラックが停まっていました。
青年館

明治公園越しに見た国立競技場です。
1964年東京五輪の際には、この上空に自衛隊ブルーインパルスが大きな五輪を描きました。
2020年の東京オリンピックでもここが開会式会場になります。
国立競技場

明治公園の向かい、外苑西通り沿いにあるご存知ホープ軒です。
1960年屋台から始まったラーメン屋さんで、とんこつ醤油の濃厚なスープがよく麺にからみ
ます。
ホープ軒

外苑西通り沿いにあるビクタースタジオです。
この日もレコーディングを終えたミュージシャンが出てくるのか?外で待ち構える人がいました。
ビクター

ビクタースタジオを隣にある蔦のからまる民家です。
この界隈、区界エリアで渋谷・新宿・港区の3区が微妙に入り組んでいます。
つた

住所でいうと新宿区霞ヶ丘町。
ここに、前回の東京五輪と同時代1960年代に建設された都営霞ヶ丘アパートがあります。
(当方昔住んでいた埼玉県上福岡にも同名の霞ヶ丘団地という公団の団地があります)
明治公園横団地

全10棟の小規模な団地です。
国立競技場、神宮球場からも直線距離で200mという至近な場所にこの団地は静かに建っ
ています。
霞ヶ丘アパート

団地敷地内にある「外苑マーケット」です。
この日が祝日だったからでしょうか? それとも営業時間外だったのでしょうか?
シャッターが下りていました。
懐かしい感じの団地内マーケットです。
マーケット近影

当方も子供の頃、団地(赤羽桐ヶ丘団地、建設された時期も同じ時代です)で過ごしましたの
で、こうした風景、涙出そうになるほど懐かしい風景です。
(以前の桐ヶ丘団地に関する記事です。その1その2
団地入口

外苑マーケットを別の入口側から見た写真です。
外苑マーケット1

テープで書いた看板文字、欠落具合もいい感じです。
ちなみに「霞ヶ丘町」という町名は、1丁目・2丁目などがつかない単独町名です。
外苑マーケット

団地内の公園です。
入居されている方の高齢化が進んでいるんだと思います。
公園で遊んでいる子供の姿はありませんでした。
団地の公園

こちらも団地生活者には、シンボル的な存在、「給水塔」です。
「それじゃ、放課後は給水塔の下で待ち合わせ!」
少年時代は、給水塔を中心に、夕方まで団地内で遊び回ったものです。
給水塔

1階にある庭です。
1960年代に団地生活を送りましたが、その当時はこの小さなエリアに池を造って金魚を泳が
せているお宅もありました。
団地の庭

ほんの目と鼻の先に神宮球場があります。
神宮球場
1964年の東京五輪とほぼ同じ時期に建設されたこの団地も、次回2020年東京オリンピッ
クの開催を見ることなく、取り壊しになり、間もなく「消えた風景」となります。
(新国立競技場の解体開始は、来年からだと思いますので、それに合わせた時期になるので
しょうか?)
<次回も神宮界隈散歩の予定です>
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公団阿佐ヶ谷住宅~前川國男デザインの団地建築の逸品です~
2013-01-05 Sat 17:30
<宮城の話題から現在の住まいの杉並界隈に戻ります>

当方プロフィールにもありますように、1960年前半に生まれ、1歳の時に
団地に入居した団地っ子第一世代になります。

以前も書きましたが、団地第一世代とは、自分で勝手に名づけただけで
こうした呼び名があるわけではありません。

意味合いとしては、”昭和30年~40年代に初めて大規模団地が建設さ
れた際に団地で生まれ、団地で子供時代を過ごした団地をふるさとする最
初の世代”といった意味合いです。

今回ご紹介させて頂く「公団阿佐ヶ谷住宅」は、豊富な緑地を配した公団
団地の最高傑作とも評される逸品です。

当方、子供時代を過ごした桐ヶ丘団地とは趣きがずいぶん異なりますが、
やはり団地の雰囲気はいいものです。

現在建て替え計画が進められており、この姿も間もなく見納めかと思って
いましたが、入居者は少なくなっているようですが、取り壊しなどはされて
いないようです。

場所は、杉並区成田東、丸の内線南阿佐ヶ谷駅から善福寺川方面へ歩く
こと10分弱で到着です。
案内板

この写真を見ると、緑の中にテラスハウスが点在するようにも見えます。
贅沢な敷地レイアウトです。
緑

テラスハウス玄関側です。
玄関側

テラスハウス前に広がるブランコのある小公園です。
アメリカ映画の舞台みたいです(言い過ぎですが!)

今の時代、こんなにゆとりのある配置は絶対無理ですね!
ブランコ

この写真などは、高原の別荘地内のバンガローにも見えます。
テラスハウス

以下の3枚の写真、既に入居者は退去済のようです。
前庭も広いですね。
入居者はいない

横から見ると屋根デザイン、斬新ですね。
入居者いない2

こちらの2階テスリは、上2枚の茶色とは異なり白で塗られています。
メンテ時期が異なるのでしょうか。
入居者いない3

テラスハウス45号棟サイドビューです。
サイドビュー45

道路側から見た45・46号棟です。
道路から45

団地の中心には、大きな公園があります。
この桜の木も団地建築の際には、若木だったのかもしれません。
公園

オーソドックスな団地タイプ棟です。
当方がお世話になったのもこのタイプの団地です。

高層住宅が少ない当時は、意外にこのタイプも人気あったのではないでし
ょうか?
オーソドックス

テラスタイプの住宅は、前川國男事務所が設計し、オーソドックスな高層タ
イプは公団住宅の設計課が設計したようです。
道路とテラスハウス

年末に「あけぼの81号」で弘前に行ってきましたが、弘前には市民会館や
博物館など前川國男作品がたくさんありました。
弘前で読んだタウン誌によると前川國男さんのお母様が弘前出身で、その
縁で弘前に多くの作品が残っているとのことでした。

ちなみに、この公団阿佐ヶ谷住宅は、1958年の作品です。

当方が住んでいた団地の号棟は、1960年建築でしたので、ほぼ同時代
の建築になります。
サイドビュー2

団地といえば、給水塔です。
学校終了後の遊びの集合場所としてよく使われました。
”給水塔の下に4時集合!”という子供時代を過ごした団地っ子、多いので
はないでしょうか!
給水塔とテラスハウス

給水塔のアップです。
これだけでひとつのオブジェですね。
PB046712.jpg
善福寺公園界隈散歩に合わせて団地建築の最高傑作といわれる阿佐ヶ
谷住宅散歩はいかがでしょうか。
上野下同潤会アパートも5月に建て替えとのことですが、その次世代の団
地最盛期の建物もそろそろ建て替えで少なくなってくるかと思います。

特に団地内商店街など昭和レトロムード残しており、当方にとっては涙出
そうになるほど懐かしい風景です。

以前の桐ヶ丘中央商店街記事もぜひご覧いただければと思います。

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団地っ子第一世代です~桐ヶ丘団地の思い出~
2012-06-27 Wed 19:40
ブログプロフィールにもありますように当方団地っ子第一世代になります。

第一世代というのは、自分が勝手に名づけただけでこうした呼び方があるわけで
はありませんが、意味合いとしては、昭和30年~40年代に初めて大規模団地
が建設された際に”団地で生まれ、団地で子ども時代を過ごした団地をふるさと
とする最初の世代”といった意味合いです。

両親世代は、地方で生まれ、上京して家族を持ったときに団地の抽選(抽選倍率
が何百倍!という時代です。)に当たり、生活の場としてたまたま団地を選んだ
という世代になります。

この世代、あくまでも自分のふるさとは生まれ育った地方であり、団地に対して
ふるさとといったイメージは持っていません。
若かりし頃の生活の一断面といった感じだと思います。

P8050611.jpg

写真は、子どもの頃遊んだ公園です。
今も50年前のそのままの風景を残しています。
子どもの頃は、登るのがこわいくらいの高さを感じた滑り台ですが、(当たり前
ですが)大人になった今登ると”こんなに小さかったのか~”と拍子抜けします。

夏の風物詩、団地内での盆踊りの舞台です。
近くの神社でも夏祭りがありましたが、自分の住む団地内に屋台が出て、そこで
輪投げをしたり、焼きそばを食べたりできることがこの上なくうれしく、最高の楽し
みでした。
盆踊り
下の写真は、団地のシンボルともいえる給水塔遠景です。
給水塔は、団地のどこからでも眺められるランドマークタワー的な存在でした。
給水塔
上の3枚の写真は、現存する風景ですが、以下は残念ながら消滅(活動停止)
してしまった風景です。

住んでいた団地には、内風呂はなくみんな団地内の銭湯へ通っていました。
当時は銭湯が社交場になっており、銭湯前に出ていた屋台のおでん屋さんでち
くわぶやはんぺんなどを立ち食いするのが楽しみでした。

その後、最近後付けで浴室が増築されたため、銭湯の必要性がなくなり、銭湯
は廃業しました。
下の写真は、かっての銭湯跡です。
草が生えてまさに”兵どもが夢のあと”です。
共進湯
続いて入学した小学校写真です。
当時は若い世代が多く、団地内にはいつも子どもの姿が見られましたが、年々高
齢化が進み、この小学校もついに2002年に別の小学校へ統合されました。)

最近TVでも話題になりますが、高度成長期に全盛を誇った大規模団地も今は限
界集落化し、どこの団地も超高齢化が進んでいるようです。
(この団地の少し後の時代になる「高島平団地」「多摩ニュータウン」も同様です。)

ここの小学校も、廃校後は、つかこうへい劇団の練習場などで活用されておりま
したが、今後はどうなるのでしょうか?
北園小学校
最後に以前紹介させて頂いた団地の商店街 ”桐ヶ丘中央商店街(4/19記事)
追加写真をUPさせて頂きます。
いまむら
公園の遊具も昭和レトロ感いっぱいですが、ここも昭和の面影が色濃く残る商店
街です(最近はシャッター閉まったお店が増えていますが)
ふくしま夜景
上の2枚は、TV東京「モヤモヤさまぁ~ず”でも何回かこの商店街が取り上げら
れています。
写真のおもちゃ屋さん”ふくしま”のおじさんも”北なんだよ~おじさん”として話題
になりました。前回の記事とともこのレトロ感味わって頂ければと思います。

近年団地ファンも増え、団地写真集も出版されています。
また、機会ありましたら、団地に関する記事をUPしたいと思います。
夜の桐ヶ丘中央商店街
(夜の桐ヶ丘中央商店街です)
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