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井上義衍老師提唱語録(その2)
2012-07-14 Sat 06:03
成願寺第1・第3土曜日定例坐禅会で頂いたプリントからの転載
<その2>です。

【知らずに生まれた】
人間の存在といいますか、宇宙のすべての発生自体を知らんと同じように
人間の発生自体を、自分自身で知らずに出てきた。

その知らずに生まれてきたものが、今、ここに存在している、という事実が
あるのです。
そして、その事実を、知らずに出てきたものに対して、今、人間が、この身
心を自分と認めた上から、この身心を問題にしなければおられんほど、自
分の見解でみるために、矛盾だらけで、苦しみが生ずるということがあるの
です。
それで、そういう状態を離れるために、一切の人間の見解というものを離れ
る要があるのです。

しかし、この身心には変わりはないんです。
そうでしょう。
知らずに出来て、知らずに出て来て、知らずに今、生きておる。
その事実があるのですから。
見解を離れると、そういう事実のままに生活ができる。
そして、縁に触れて一念がポッと起こったときに、はじめて人間の見解とい
うものと、心の動きというものの「際(きわ)」が、キチッとするのです。

そこではじめて無明の煩悩というものの起きる根源が切断される、はっきり
と切れるということがありますから、そこではじめて自分の真相にお目にか
かって、「ははぁ、そうか。このように初めから解脱をしておったんだ。要い
らん手続きをせんでもよかったんだ」ということがはっきりするのです。

~~(その1)もぜひご参照ください~~
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