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北区赤羽岩淵宿「川金(かわきん)」廻船問屋の江戸時代の建物でした
2013-02-17 Sun 17:30
赤羽には、生まれてから小学校途中まで(桐ヶ丘)と、高校2年から結婚
するまで(赤羽2丁目)住んでいましたので我がふるさととも言える場所で
す。

以前、赤羽岩淵の猫寺「正光寺」をご紹介させて頂きましたが、今回は
小山酒造の近くにあった料理屋「川金」(下の写真、北区岩渕町24-14)
のご紹介です。

この川金の建物由来などについては情報が少なく、唯一当方目にしたの
が、桐谷逸夫・桐谷エリザベスさん著『下町~変わりゆく東京の人情と町
並み~ いま・むかし』(日貿出版社)での言及でした(桐谷逸夫さんのスケ
ッチ画がたくさん掲載された良書です)。
FH010021_20130217125547.jpg
  
目立たない建物ですが、江戸時代の建築で築200年経過しているとのこと。
以下、『下町~変わりゆく東京の人情と町並み~ いま・むかし』からの引用
です。

 「六代目の父の代まで廻船問屋をやっていました。その頃は大きな
 伝馬船を三艘持っていて船頭も3人いました。船頭といえば当時は
 いなせで、股引、半纏姿はまるで歌舞伎役者のようでしたよ」

 「手前の六畳の部屋には、船頭たちが寝起きしていました」
  (当時91歳の小田切さん談)


大正時代には、このあたりは田んぼでしたが、近くに味噌、醤油をつくる所
や製材所がありこちらの廻船問屋から日本橋へ運んでいたとのことです。

比較的最近まで「いっぷく亭川金」として、かっての賂飯 赤羽めし(赤羽で
とれたシジミの炊込みご飯)などが食べられましたが、最近歩いた時には、
この建物は姿を消していました。
(と思うのですが----。web見るとお店の情報があったりして当方の勘違い
かもしれません)

新河岸川岸に舟運名残の建物がつい最近まで残っていたとは、驚きです。

以下は以前ご紹介できなかった赤羽岩淵の風景です。

趣ある洋館は、黒田機器事務館(志茂5-30-7)です。
元々は麻布にあった洋館を移築したものです。
P1133682.jpg

岩淵の旧奥州街道沿いで見かけた魚屋?さんです。
普通の住宅の一角にいきなりショーケースがある感じで不思議な感じで
した。

P1133675.jpg

赤羽岩淵宿の鎮守「八雲神社」お祭りの光景です。
小さな男の子が本殿に向かって一生懸命走ってきました。
何となく赤羽らしさを感じる好きな写真の一つです。
FH000013_20130217125547.jpg
以下、岩淵を流れる新河岸川夕景です。

すぐそば(下流)にある岩淵水門周辺で荒川と新河岸川は合流し、岩淵水
門から下流は隅田川を名前を変え、都内を流れたその水は東京湾に至り
ます。
P1133702_20130217125657.jpg

当方にとっての「三丁目の夕日」風景です。
P1133703_20130217125656.jpg

写真左手が赤羽、右には荒川が流れ、その川向うが埼玉川口市です。
P1133704_20130217125657.jpg
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