The link at the date of the calendar is an entry.
スポンサーサイト
-------- -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

別窓 | スポンサー広告
中世館跡「難波田城」公園(埼玉県富士見市)訪問記
2013-06-23 Sun 19:00
埼玉県富士見市に難波田城公園という史跡があります。

富士見市」は、小江戸川越の東京寄り東京のベッドタウンとして発達して
きた町です。
当方、小学校から高校2年までこの隣の上福岡に住んでおりましたので、
この界隈は少々土地勘があります。

このあたりの市名は、極めてわかりにくく、隣の旧上福岡市は大井町と合
併し現在「ふじみ野市」になっています。
合併協議の不成立等もあり、隣あった市が似たような市名を名乗るという
紛らわしいことになっているようです。

閑話休題

難波田城公園は、中世に富士見市を本拠として活躍した難波田氏の城跡
で、戦国時代には3重の堀を巡らした大規模な平城として威容を誇ってい
ました。

戦国時代の後半には、北条氏の支城となり、1590年北条氏滅亡とともに
廃城になりました。
城跡の周囲には、新河岸川、荒川が流れており、城も荒川低地の標高6m
の自然堤防上に築かれています。

こちらには、10年前開園直後に来たことがあるのですが、久しぶりに再訪
してきました。

城の正面の門 棟門形式の「追手門」です。
門

公園は、城址ゾーンと古民家ゾーンに分かれています。
まずは城址ゾーンから歩きます。
案内図

難波田城は、三重の堀と土塁に囲まれた平城でした。
かっての姿を髣髴させる光景です。
難波田城全景

土塁

発掘調査の際に出土した橋脚をもとに復元された木橋です。
木橋

城攻めを想定して戦略的に架けられていたようです。
木橋説明

住宅地側に立つ難波田氏館跡の碑文です。
この公園が整備される前からあったものかもしれません。
碑

公園内の一画に墓地があります。
難波田城廃城後の江戸時代にここの地にあった修験道寺院「十玉院」の
院主及びその関係者の墓地です。
十玉院は、修験道本山派の日本28先達、武蔵9カ寺にも数えられる大寺
院だったとのことです。
十王院

城址ゾーンと古民家ゾーンの間に蓮池がありました。
蓮

行田の古代蓮からの株分けされたものです。
いくつか蓮の花が開いていました。
蓮説明

古民家ゾーンに入ります。
下の建物は、江戸時代初めから大久保村の名主をつとめていた大澤家の
母屋として1871年に建てられた建物です。
民家1

左側の式台は、江戸時代には幕府の役員を迎えるための専用の入り口です。
それにしても豪壮な建物ですね。
民家2

古民家ゾーンには、もう1軒古民家が移築されています。
こちらは、富士見市水子にあったこちらも1871年築の金子家民家です。

金子家は、江戸時代末期から明治時代にかけて農業の傍ら油商を営んで
いたとのことです。
民家3

こちらは、民家ゾーンにあった水塚です。
新河岸川、荒川に近いこの周辺は、水害に悩まされてきました。

水害防止のため、塚を盛ってその上に蔵を建てたのが、この水塚です。
水塚

そういえば、以前ご紹介させて頂いた北区浮間にも高く土を盛った上に家
屋を建てた水塚タイプの家屋がありました。
水塚説明

金子家前には、小さな売店がありました。
店

売店では、手作り風のお弁当を販売していました。
おいしそうです。
弁当

難波田城公園の周囲には、のどかな風景が広がっています。
田

東武東上線からは、鶴瀬駅または志木駅からのバスになりますが、あまり
アクセスはよくありません。
車での訪問が便利だと思います。
竹林

今回のお土産です。
公園内にあった「十玉院墓地」を見てこのあたりの修験道に興味を持った
ので「富士見の修験道」という本も購入しました。

こうしたマニアックな本は、こうしたところでしか手に入れられないですね。

次回は、同じ富士見市内にある縄文時代の遺跡「水子貝塚公園」をご紹
介できればと思います。
本
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 禅・坐禅へ
にほんブログ村
スポンサーサイト

別窓 | ぶらり旅 | コメント:0 | トラックバック:0
<<水子貝塚公園&寺下商店街(埼玉県富士見市) | 坐る・乗る・歩く(坐禅と鉄道とまち歩きのブログ) | 雨の結城(茨城)風景>>
この記事のコメント:
コメントの投稿

管理者だけに閲覧

この記事のトラックバック:
| 坐る・乗る・歩く(坐禅と鉄道とまち歩きのブログ) |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。